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>>28歳で小泉八雲の子孫であることを実感した玄孫のプロフィール
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>>小泉八雲の次男、美しい巌ひいお爺さまの自慢
をご覧くださいませ。
家系が複雑ということもあり、偉大な高祖父に興味を持ったのが遅かったわたしの、ちょっと掘り下げたバイオグラフィーです。
小泉八雲の子孫って頭いいでしょ?
答えはYesともNoとも言えません。
小学校の成績はとても悪かったです。なぜなら身体が弱くて入院しまくってたから…。
でもそのお陰で自主勉強の癖や年齢の違う人との会話のハードルはかなり若い頃から下がっていました。
仲良くしているお友達の中には両親よりも上の年代も人もいます。
あと、おそらく3歳からでしょうか。母が毎月本を買ってくれてとにかく本が好きでした。
小学校入学の時点でエルマーの冒険を読むほど。教科書が配られるとまず国語と道徳を4月の初めの週に全部読んでいました。
その程度の国語力の子どもってまぁそこら中にいると思うのですが家族のフィルターとは時に残酷。
母方の祖父(八雲とは血縁がありませんがなんと耳なし芳一で有名な赤間神宮のすぐ近くに住んでいました。)よりある本をプレゼントされます。そう、
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言わずとしれた世界的名作
”怪談”
〜Kwaidan〜
当時6歳。本というだけでテンション爆上がりなので当然読みます。
が、オチがない。意味がよく分からない。なんとも腑に落ちない感想でした。
今思うと本能でめでたしめでたしで終わる物語を期待していたのだと思います。
怖い、おぞましいみたいな気持ちもわきません。状況を思い浮かべる能力もなかったでしょう。
ただただ気持ちが悪い。そんな印象でした。
(そんなわたしをよそに2歳だった妹は母の怪談の読み聞かせが大好きだったりします。姉は逃げてました。お気に入りは狢の「お女中」の台詞。妹は大爆笑でした。)
中学生になって小泉八雲の ”茶碗の中” を授業で取り扱いました。
学校にあまり行けていなかったこともありますが、通常90点以上とれて当たり前の国語のテストでなんと、60点を下回る点数をたたき出す始末。
どちらかと言わなくてもスピリチュアルよりはロジカルな思考なので相性が悪かったとも言えますが、おじいさまおばあさまもさぞ…びっくりしたことでしょう。
小泉八雲の玄孫の学歴は?やっぱり文学系?
進級するに連れて体調は回復。
まさかの普通科高校に進学できてしまいます。
母校はちょっと特殊で音楽コースがありピアノを弾くことが何よりも好きだったわたしはそれを武器にたいしてよくもない成績にも関わらず進学校の制服を身にまといます。
(といっても上の下くらいの偏差値。MARCHに受かれば上等といった程度。)
授業には全くと言っていい程ついていけないのと、オーケストラ部が楽しすぎてそもそも少ない体力を部活基準に配分してしまいます。(ウィーンの学友教会で演奏しました。大して上手くもないのに。)
現在(2020年)はわたしの口から繰り出される言葉の90%以上が英語ではありますが当時、英語の成績はReading, Writing, Grammerのすべてで赤点をとりました。
(ぶっちゃけてしまうと今も決して得意ではありません。接客業で培ったコミュ力頼りです。)
肝心の音楽も先生の音楽性が好きになれずにさぼりまくり。
現代文、現代社会、家庭科の成績がそこそこ良かったですが一番好きな授業は世界史。理系科目については音楽コースだったためほぼ授業がありませんでした。
小泉八雲の玄孫である旨は当時、たぶん誰にも伝えていません。
ブログを読んだ先輩には大学で履修した時に知ってたら〜と言われてしまいましたが、自分でも欧米人の血が流れている事はむしろ忘れてるぐらいだったと思います。
また不況が騒がれていた時代に進路を決めなければならず、中途半端な4年生大学でちゃらんぽらんするよりは手に職をとジュエリーの専門学校に通います。
ジュエリーの勉強はそれはそれは有意義で奨学金まで借りて研究院を卒業します。
学歴は専門学校卒業ですが大卒と同等の資格を取得、美大であれば一応大学院に進めるステータスです。
余談ですが卒業制作は小泉八雲の三男であり画家として活躍した小泉清が個展をした場所に展示されました。当時は知りませんでしたが。
こちらが卒制の一部。
当時猛練習していたドビュッシーのピアノ曲、喜びの島をモチーフにシルバーや金属箔、宝石を使って制作しています。
学校出た後は何してたの?
卒業後は就職を目指すもリーマンショックの当たり年(笑)でデザイナーの内定取り消しをくらいます。
が、就職に対してそこまで思い入れがなかったので残業が少なく、スケジューリングがしやすい販売職(場所は三越と髙島屋)に就きます。
自分の作りたい作品を作り続け東京で2回、ワーキングホリデービザを使ってドイツに滞在しながらベルリンで2回個展を行います。
海外暮らしなんてものをしておきながら、自分が小泉八雲の玄孫であることなんて一度も思い出しませんでした。
一度目は2013年にピアノ屋さんで
2度目は2014年に廃学校の音楽室で、せっかくなので曲作って弾いたりしました。
ちなみにこの後、するなら今だとついでに世界一周(ウィーン、ドイツ、イギリス、フランス、スペイン、ニューヨーク)します。ホテルの類いには一度も泊まらずお友達がいる所にやっかいになりまくった世界一周でした。みなさん、ありがとう!
個展で発表した作品はやはり音楽関係。オーナーデザイナーをしているブランドApocaθist(アポカシスト)の元となるような作品で全て楽器の部品を生まれ変わらせています。
ブランドで販売しているものは全てわたしがプロトタイプを作り、日本の職人さんやスタッフさんにお手伝いしていただいています。
ベルリンでいただいたピアノ弦のアップサイクル
ピアノ、バイオリン、オーボエ、クラリネット、サックスなどを生まれ変わらせています。
モデル撮影は八雲旅中に行うことでもろもろの経費を申請しました笑
Apocaθist(アポカシスト)はオンラインで購入できます。
応援の程よろしくお願い致します。
楽器の部品を使う使わないに関わらずオーダーメイドもやってます♪
小泉八雲の玄孫のデザイン、身につけてみませんか?
なんちゃって。
そもそもなんでアイルランドに来たの?
>>28歳で小泉八雲の子孫であることを実感した玄孫のプロフィール
でもふれているように個展をベルリンで行ったノリで世界一周したあとに八雲の孫に当たる祖母の自宅を訪ねる機会がありました。祖母に会うのは人生3回目のこと。そのうち2回はレストランとお葬式。
そう、家を訪ねたのは初めてのことでした。
大人になったからでしょうか、小泉八雲の詳細についてを聞かされます。
ギリシャ生まれでアイルランド育ち、アメリカと日本で職を得た小泉八雲とわたしの共通点、ぜったいいっぱいある!と思い軽く調べ物をしていたら案の定と言いましょうか。旅行欲が沸々とわいてきます。
30歳にしてはじめてのギリシャ、アイルランド、アメリカ、カナダ、日本の足跡をたどってやはり世界一周しました。
世界を回りながら考えていたのは、せっかく身軽だからどっかまた海外に住めないかしら?ということ。
そこで白羽の矢が発ったのがアイルランド南東部TramoreにあるLafcadio Hearn Japanese Gardens です。
アイルランドでの旅の拠点はダブリンだったので1〜2時間の滞在でしたが、美しい景色に惚れ込みます。
尚且つ日本語を操るスタッフがいないこと、オフィスが汚いこと(笑)日本の土産物がないことなどにわたしの活路を見出し、クリスマスカードと一緒にワーキングホリデービザを使って厄介になれないかの手紙を送ると良い返事が。
しかし、スタッフが超テキトーに返事をしていて、のこのこ日本からやってきたところオーナーたちには「そうなの?」と言われてしまい、日本文化へのリスペクトはないのか?とかこれは日本風ではなくチャイナだコリアだなど良かれと思ってアドバイスしていたつもりがちょっとした嫌がらせを受けたりもします。
余談ですが小泉八雲のオリジナルネームは Patrick Lafcadio Hearn ですがアメリカに渡るときにアイリッシュ名であるPatrickをファーストネームにもかかわらず捨てました。
アイルランドの人々やカルチャーに嫌悪感を感じていたのですね。
ちなみに超テキトーな返事をしたのはその後結婚した夫です。責任を取らせた形、でしょうか?
セツさんのとの共通点とは?
話がだいぶ横にそれましたがセツさんとの共通点、それは
学歴コンプレックス
八雲と夫婦となり随分と経ったころセツさんは
「女子大学でも卒業した学問のある女だったら、もっともっとお役に立つでしょうに・・・・・・」
と呟いたそう。すると、八雲は自分の著書が並んでいる書棚の前に連れて行き
「誰のお陰で生まれましたの本ですか? 学問のある女ならば幽霊の話、お化けの話、前世の話、皆馬鹿らしいものといって嘲笑うでしょう」
と説いたそうです。
2017年にノリで小泉八雲の足跡ツアーを企んでしまった私。
英会話はセルビア人とルーマニア人のSkypeレッスンを格安で受けたり、友人が主催するLanguage exchangeのイベントに行くなどしてなんとかドイツ語並みにはしゃべれるようにがんばりましたが、Readingは高校時代の赤点成績のまま。
おじいちゃんの書いた本が読めません!
こんなにも情けないことがあるのかと、Lafcadioのファンで超博識で元 Irish Timesの記者であり、時々本をプレゼントしてくれる友人Johnに泣きつきました。
「アユコがここにいるだけでLafcadioはよろこんでいるだろうよ。」
(ちなみにわたしの旅はダブリンで終わる予定でしたが「日本からなかなかいけないでしょ?NYCまで3万円ぐらいでいけるよ?ついでにシンシナティとニューオーリンズも行って来なよと勧めてくれたのは、彼です。)
友人の言葉に救われましたが
…本当にそうでしょうか?
仮にもわたしが書いたお話が教科書に載って自分の子孫がテストで60点な時点でもう低スペック子孫確定。
それに海外の図書館にまで来ちゃうからには英語に堪能であると思いたいでしょう。
(八雲の貴重な資料を求めてニューヨーク、シンシナティ、ニューオーリンズ、ギリシャの図書館を訪れましたが主にわたしの知識になったのは写真ばかり。)
せめて高校で基礎をしっかり勉強していれば。八雲についてもっと早く知って大学で英文学、社会学、民俗学、地学、歴史学、宗教学あたりを選考していればと後悔したこと数知れず。
そう悔やんでも今日がわたしのこれからの人生で一番若い日。
英語の勉強もそうですが、世界中たくさんの方の力をお借りして偉大なご先祖様についての理解を深めることをライフワークにしていきたい所存です。
長くなりましたが最後に一言
波乱万丈な人生にも関わらず2度目の結婚を八雲としてから夫を陰で支えまくった小泉セツおばあさまを主人公に
朝ドラにしませんか〜!
オーディションとか、音楽とか、衣装とか、玄孫として全力で協力いたします!
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