アイルランド生活

本場のハロウィン!アイルランドの歴史とジャガイモ飢饉と小泉八雲

昨今の日本でも大人気のイベント、ハロウィン(Halloween)はアイルランド発祥ってご存知でしたか?

日本ではただのコスプレイベント化していますがアイルランドではやはり子どもが主役。

とは言え大人も楽しんでいます。

2018年のLafcadio Hearn Japanese Gardensにて

Lafcadio Hearn Japanese Gardens でのイベントの一コマ。右は多分、Lafcadioが夏場に滞在してた家に住んでるおばちゃん。
主にティーンのボランティアの方々が演じたのは耳なし芳一、青柳、断片

2日にわたって行ったイベントではのべ200人強の方にお越しいただきました。

私は日本文化の是非はともかく自分のやりたいようにしたい欲まるだしの演出家に嫌われてしまったのでフェイスペイントのお姉さんをしてました。

芳一メイクを施すも…麗しさをカバーできず。
お面を見本にしたメイク、特にリップを気に入ったらしく色を残したまま顔を洗ったとお母様からごほうこくいただきました。
見本まで持ってきてくれたもののおしゃべりボーイのメイクには集中力がついていきません。

ちなみに今では10月31日きっかりではなくその前の土日にお祝いします。大人に優しいですね!

アイルランドのハロウィンの歴史

もともとは5世紀にやってきたケルト民族がドゥルイド教の儀式 ”サウィン祭” として執り行われたものが起源とされています。
当初は悪霊退治や秋の収穫を祝う目的として行ったとのこと。
9世紀頃に書かれたアイルランドの古文書には、既にハロウィンについての記述があったのだとか。

以前、お盆について訊かれた時にとっさに

「Japanese Halloween」

答えてしまったことがあるのですが当たらずとも遠からず、最初のお盆は606年に推古天皇が執り行なったといわれているようです。

異界との隔たりがなくなるという解釈もまた日本と同じ。親近感がわきます。

その後アイルランドはカトリック教に侵略されますがハロウィンの儀式は残ったのだとか。きっと楽しかったんでしょうね!
またカトリック教では11月1日が聖者の日だそうで”Hallow(聖者)” の前夜ということで ”Halloween”という名前になったという説が一般的です。

また

神聖な (Hallow) + 夜 (evening) = ” Halloween “

という説もあります。とにかくカトリックが侵略していなかったら未だにサウィン祭だったのかも。

ハロウィンと言えば!なあのカボチャのオブジェについて

正式には ”Jack O’ Lantern (ジャックオランタン)” と呼ばれています。

ですがこのカボチャオブジェについては実のところ歴史が浅いんです。

ここで19世紀のジャガイモ飢饉について

詳しく話すと脱線してしまうので、とある友人アイリッシュの言葉を借ります。

「クソイギリスが食料をふんだくったせいで100万人以上が死んで200万人以上が職と食を求めて国外に行って人口がだいたい40%くらい減っちゃった!」

のだそうです。なお主な移民先はやはり当時グイグイ来ていたアメリカ。(南北戦争の20年弱前に当たります。)
2018年のデータによるとアイルランドに出自を持つアメリカ人は約3,600万人(総人口のおよそ12%)。この数字はアイルランド及び北アイルランドの人口の約7倍です。
ちなみにアイルランドは西ヨーロッパにおいて19世紀に比べて現在の人口が少ない唯一の国だとか。

実はジャックオランタンはカボチャじゃなかった!

有名な話なのでご存知の方も多いかとは思いますがアイルランドのオリジナルはなんと、

カブ(Turnip)!

こちらはIrish National folklife museumに展示されているもので20世紀初頭に作られたものなのだそうですが

き…きもち悪い

紫から肌色に向かうグラデーションなんか妙にお化け感が強くて夢にでてきちゃいそうです。

シチューにいれるとおいしいです。マッシュもおすすめ!

今でもスーパーには必ずと言っていい程置いてあるTurnip(ターニップ。地域によってRutabaga、Suedeとも言われます。)という野菜をくりぬいてジャックオランタンを作っていたとのことですがいつ頃からでしょうか?アメリカンアイリッシュから逆輸入をするような形でカボチャのジャックオランタンに徐々にシフトしていったようです。

だってこっちの方がかわいいもんね…。

コスチュームも、紫と肌色のグラデーションだと染色のコストが大幅アップしますしね。(デザイナー目線)

今ではプラスチック製のジャックオランタンが主流ですが、カービング用ののオレンジ色のカボチャもハロウィン当時はよく売っていました。

もしかして小泉八雲も飢えてたの?

ジャガイモ飢饉は1845年から1848年頃と言われています。
ですのでLafcadioがギリシャから2歳でやってきた1852年にはピークは越えていたとは言え依然として食糧難は続いていたそうです。

ダブリンにある元貨物庫の商業施設、chq Buildingの入り口付近や地下は1820年代に建てられた当時の壁が残されています。

Dublinのセンターから歩いていける距離です。

元Irish timesの記者の方によるとここでクリミア戦争から帰ってきた軍医の父チャールズと一緒に配給のごはんを食べた記録があるとのこと。

もしかして、ご先祖様はナイチンゲールと仕事してたりして!

お腹はすいてなかったのですがせっかくなので豊かな時代を感じてチョコレートをいただきました。

様々な形で世界中に広がるハロウィン文化。
これから100年後のハロウィンではトーキョーのクレイジーさも語り継がれるのでしょうか?

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守谷 天由子
ギリシャとアイルランドの両親を持つ明治の文豪、小泉八雲 (Lafcadio Hearn) の孫の孫の守谷天由子(もりやあゆこ)です。 文系か理系かと言われるとアート系のジュエリーデザイナー。 八雲と同じく異文化に触れる旅やウィスキーが大好き! 2017年に5カ国に渡る足跡ツアーを4ヶ月かけて自力で回りました。 道中出会ったアイリッシュ夫と海辺の町で暮らしています。