キシラ
Kythira
この単語を目にして具体的なイメージが出来る人は果たしてどのくらいいるのでしょうか?
ゴジラやガメラ、モスラの仲間でいそうですがタイトルにもある通り、島の名前です。ギリシャの。
首都アテネからフェリーで7時間かかります。
そしてそのフェリーは週に1〜2本しかありません。
そう、平たく言えばド田舎の離れ小島です。
そんなキシラ人の血を3.125%受け継いでいるのが、何を隠そうこの私です。
キシラ島の概要
広さと人口と名前について
279.593km2(東京都3分の1弱)とギリシャにある3300以上の島の中では17位とトップレベルでありながら人口は3000〜4000人。
諸説ありますがキシラと首都のアテネと行き来しながら生活している人もそこそこにいるようで正確な数字はわからない。というのが識者の方のご意見でした。
人口密度に関してはだいたい14/km2
私の出身地である東京はその約680倍、9529/km2です。
言わずもがな戸建て住宅がほとんど。
マンションやアパートにカテゴライズされるものは2週間の滞在で見ることはありませんでした。
人口の最盛期は1864年。約14,500人と現在の4倍にも及ぶ人々が当時は暮らしていたのだとか。
勘の良い方はお分かりかと思いますが私のひいひいひいおばあさまであり文豪小泉八雲(Lafcadio Hearn)の母、ローザ カシマチ(Rosa Kassimati 1823〜1882)が暮らしていた時期とかぶっています。
少し掘り下げると、人口がピークに達した頃は彼女が2度目の結婚の後に3人の子どもを育てつつお腹に4人目を宿している頃に当たります。
リサーチした情報が間違っていなければ1823年から1849年に八雲の父親のチャールズと駆け落ちしてレフカダ島へ行くまでの間とアイルランドでノイローゼになって1854年に帰国してからコルフ島の精神病棟に入院する1872年までの約44年もの年月をこのキシラ島で過ごしました。
ローザ が見ていたキシラの景色はもっと生き生きとしていたのだと思います。
人口は当時の20〜30%にまで落ち込んでいる2019年現在は当時の面影を残すイカした廃墟がちょいちょいあります。
また日本語名に関してはキティラ、キュティーラ、キチラなどと表記をされることもありますがここでは私の耳で聞いて一番近いなと思われる “キシラ” と綴って行こうと思います。
ちなみにギリシャ語だと
Κύθηρα
と綴ります。
θ(シータ)は数学を真面目にお勉強した方は聞いたことがあるはず。
英語の “Think” や “Math” の “Th” と同じ発音です。
ちなみに英語のスペルは “Kythira” と “Kythera” の2種類を現地では見ました。
見た目は後者の方が近いですがこのまま読むと “キゼーラ” にも読めてしまうので私は前者を使うことにしています。
また、”Cythera” と書かれることもあるのだとか。どれが正解ということもないようです。
他のイオニア諸島と同じく現イタリアやフランス、トルコ、ロシア、そして個人的に一番忘れてはいけない八雲の父が軍医をしていたイギリスが過去にキシラ島を支配していました。
イタリア語ではチェリゴ(Cerigo)
フランス語ではシテール(Cythère)
トルコ語ではÇuha Adası (読めません。ごめんなさい。)
ロシア語ではКитира(多分…キティラ?)
と呼ばれる場所でもあります。
キシラ島と言えばこの絵画!
また、ルーブル美術館に所蔵されているロココ美術の画家アントワーヌ・ヴァトーノの作品 “シテール島の巡礼” はこのキシラ島をモチーフに描かれたものです。
ただ、島への出発なのか到着なのかは定かではないとのこと。
“愛の島を目指す恋人たちの愛の道程を描いている。”
と言われているこの作品ですがその愛の島こそがこのキシラ島なのです。
余談ですがこの絵画からインスピレーションを受けて作曲されたのがクロード・ドビュッシーの “喜びの島” というピアノ曲(そこそこ難しめ)。
キシラ島出身のご先祖様を持つ私がジュエリーの学校での卒業制作のモチーフとして選んだのが当時猛練習していたこの曲だったりします。
卒業して10年後に知った事実ですが、パソコンの前で心臓が止まるかと思いました。
まだ21歳の頃に天国からおじいちゃんおばあちゃんが指図でもしてくれていたのでしょうか?
また、私のジュエリーの作品については全てではないですがこちらの記事にてご覧いただけます。
キシラ島と言えばこの女神様!
ギリシャ神話の中でも愛と美と性を司る女神として知られているアフロディーテ。
オリンポス十二神の中の1人(1神?)の彼女はキシラ島東部のアブレモナス海岸で実の息子クロノスに切り落されて海へ投げ捨てられてしまったその父親ウーラノスの男性器の泡から産まれたと言われています。
アニメにできませんね。
こちらがアブレモナス海岸。の一部。
岩だらけなので泳いでいる人はあまりいませんが写真では表現しきれない程に美しい海です。
ちなみにローザ は2番目の夫イオニアスが船関係の仕事をしていたこともあり、この海岸近くで暮らしていた時期があります。
キシラ人の暮らしぶりとは
前述の通り、東京の680分の1の人口密度であるキシラ島。
私の通った小学校は全校生徒が700人弱だったのですが校区に小学生が1人しかいないと思うとイメージしやすいですね。うん、アパートを建てるまでもないです。
北から南に走るバスはなんと1日1往復。
南で暮らす人がバスで北へ行く場合、泊まりがけになります。
ということで皆さん車をお持ちです。
道がよろしくないので傷だらけです。
道は良いとは言い切れませんがイギリスの保護領だった時代にかなり道路や橋、戸籍(ありがとう!)が整備されたとのこと。
一般に統治された側は嫌悪感を抱くのが普通と思われがちですが、現地で生まれ育った友人のエレニおばちゃん曰くイギリスがやってきたお陰でキシラは住みやすくなったのだとか。あの残虐な歴史のオンパレードなイギリスに感謝する土地がギリシャの田舎にあるとは意外です。
2019年夏に私が滞在したのはローザおばあさまとチャールズおじいさまが運命の出会いを遂げたホラ城の近く、ほぼ南端です。
島民の生活に興味はありましたが…バスに乗るためだけに北側に1泊するのはちょっとなぁということでチャレンジしませんでした。
とはいえキシラ島には60もの村があります。ほぼ廃村と化している場所ももちろんありますが小学校はそこそこ点在しているのだとか。
ただしかし、中学校と高校は島に一つしかありません。しかも同じ建物です。
毎朝スクールバスが補整されていない坂の多いキシラ中を走って生徒を学校に運ぶのだそうです。尊い仕事です。
とは言っても小学校が近くにない場所ももちろんあります。
その場合は近所に家を借りるという手段もありますが貧乏な家庭も多いのでお金を払うのではなく農産物をお金の代わりとして渡していた(いる?)とも聞きました。
お話を伺った識者の方は英語(とりわけ時制)に疎いのでやんわりとした情報提供で申し訳ないです。
ちなみに自家用車が一般的ではなかった約50〜60年前まで、ロバが現役だったそうです。みたかったなぁ。ローザおばあさまも乗ってたのかなぁ。
忘れちゃいけない!教会について
ギリシャの宗教はほぼ正教(オーソドックス)です。
カトリックの元となった正教の教会が人口3000〜4000人のキシラ島にいくつあるのでしょうか?
なんと
約500!
そして全てがGoogle mapsに記載されていません。
(そう、ローザ の2番目の夫が眠る墓を訪れるのに苦労しました。)
神父さんは島内に15人とのことで兼任を余儀なくされており、廃教会はもちろん1年に1度しか開かない教会もあるようでした。
古いものはミノア文明時代に建てられたものも!
4〜5世紀に建てられたものが現役で使われていたり、土地だけはあるので家族のお墓を側に置いたプライベートな教会もありました。
程よく豪華なプライベート教会の内部。
電気は通っていません。
墓地と隣接しています。
このお世話になりまくったエレニおばちゃんのお父様は神父さんだったそう。
右端奥のお墓に眠っていらっしゃいます。
また、遠くコルフ島の精神病院に送られる程にローザ は宗教狂いだったそうなのですがどの教会に一番通っていたかはわからないそうです。
まぁ、今でこそ文豪の産みの母として知られていますが当時はジーザスにクレイジーなヤバいおばちゃんだったわけですから情報が残っていないことに関してはある程度はしょうがないですね。
ご先祖様ゆかりの地、ホラ城について
小泉八雲関連の資料ではカプサリ城と記載されていることも多いホラ城 (Chora catsle)ですが、空港などから向かう場合には南のカプサリ方面を目指すこと、そしてホラ城からカプサリ湾をばっちり見おろせることを理由に勘違いなさった方がお広めになられたのだと思います。
標識はすべてホラ(Χωρας)でした。ちなみにホラ村はキシラ島の首都でもあります。
なお、元々は城の中に人が住んでいたとのことですが城下町を作ろう計画が約500年前にはじまり最初に建設された住宅がこの家とのことです。
キシラ島で出産が病院で行われるようになったのは大体40年前からとのこと。
1823年に産声を上げたローザ おばあさま以前にも以後にもたくさんの方がお産まれになったのでしょう。
カプサリ湾からみたホラ城。
夕暮れ時、北側から見たホラ城とホラ村。
このホラ城でに駐屯していたひいひいひいおじいさまがローザおばあさまと恋に落ち、駆け落ちしてレフカダ島で暮らして文豪ラフカディオ、後の小泉八雲が産まれました。
こんなステキな景色の中でだったらキシラマジックにかかってしまうだろうなぁ…。
と、ローザおばあさまとその息子たちを残して勝手にアイルランドの幼なじみと結婚してしまったチャールズおじいさまに思いを馳せるのでした。あーあ。
シェア大歓迎!ご意見ご感想はTwitterよりお待ちしております。
なお、お問い合わせや各種ご依頼についてはこちらからお願いいたします。