子孫でありながら追いきれない程の資料が残っている3大陸に渡る小泉八雲のルーツ旅はもはやライフワークと言っても過言ではない程なのですが、身近な家族のそれだってばっちり興味がある!
ということで20年以上ぶりに母の産まれ故郷の下関訪れることになりました。
そうは言っても親族はもう誰も住んでいません。
昔住んでいた場所もマンションになっていたりと様変わりしていますが、思い出の断片を少しでもすくうべく母の高校時代のお友達と一緒に下関をぶらぶらしてきました。
ぶらり下関
ひとまず滞在先のホテルに荷物を置いて母のお友達と落ち合うべく下関の駅へ。
訪れたのは2020年3月初旬。
新型肺炎の関係で下関のメインのお客様である韓国や中国の方々は全くと言っていい程おらず、そもそも来ないのに水族館や展望台はもちろん、イギリス領事館(ちっっさい)さえもクローズしていると教えてくださったホテルのお姉さんの苦笑いからはじまるという、ワクワク感にはちょっとかける旅の始まりでした。
ちなみに母のお友達とはLINEの連絡を待ちながらふらふらしている最中、もしかしてあゆちゃん?と私を見つけてと声をかけてくれました。
びっくり。富山でも言われたけどあからさまにその土地の人じゃない感があるのかもしれません。
思い出の下関巡り
観光名所は赤間神宮にだけ行ければいいしそれは夕暮れ時がいいわ!ということで早速やってきたのは母の旧居跡。
目当てはお不動さんです。
お供えされている千羽鶴のダメージ具合から見ても地域の人に愛されていることが伺えます。(緑のは苔ではなくて多分いたずら。)
前回来た時は私はまだ6歳でしたが夏に上ってお掃除したのをよく覚えています。
ちなみに右手がもげてしまっているのは1945年の空襲の被害によるものとみられているそう。
交通の要所であるからか原爆を落す候補地にもあがった下関も大都市ではありませんが壊滅的な被害を受けたそうです。
ちなみに天候不良のために原爆投下を免れた北九州市小倉(急遽長崎に予定が変更された。)までは直線距離で10km程。
場所は赤間神宮のすぐ真裏のスーパーマーケット、Max Valuの向かいにあります。
この森のような茂みの裏が
赤間神宮です。
別記事でも触れていますが、後に小泉八雲の曾孫(私の父)と結婚することになった母がこんなにも耳なし芳一像の近くで暮らしていたのってちょっと面白いなぁと思ったり。
思い出の喫茶店へ
なんてかわいらしい外観なんでしょうか!
ちなみに閉店していました。母たち、がっかり。
とは言えまさかの収穫がありました。
幕末の歴史ファンにはたまらない!下関版 吉原
現在は東京第一ホテル下関として営業しています。
この、稲荷町 大坂屋には坂本龍馬をはじめとする伊藤博文、アーネスト サトウ、山県有朋、桂小五郎、久坂玄瑞ら幕末を代表する人々が遊びにやってきたとされるそうで先の空襲で破壊される前までは当時の名残があったそうです。
2人とも何度も前を通ったことがあるけど気づかなかったそうなのでこのキャプションが置かれたのは割と最近だと思われます。
ひとつ前の写真、閉店してしまった喫茶店KOINUの奥に見られるグレーの建物がそれです。
お茶会リベンジ!
やってきたのは唐戸商店街の中でもひときわ華やかなこちら、
本格老舗洋菓子店、三好屋
老舗洋菓子店の三好屋さん、母たちが高校生の時に既にあったというのでいったいいつから営業しているのでしょうか?
私は鶏卵アレルギーなのと待ち構えているゴージャスな晩ご飯のためにスペースを空けておきたかったのでおぜんざいを、しかもわざわざお餅を抜いて頼むという空気を読まない客として過ごしてしまいましたが母たちは美しいケーキを注文しました。
ちなみにパティシエさんにはエピソードがあります。
なんと元自衛官だそう。
しかも自衛官を志したその動機は菓子づくりのための筋力体力アップのためだったとか。
ケーキにも気合い、入ってます。
母曰く
「洋酒もケチらず使っているし銀座だったらケーキセットで2000円とれるレベルの味。」
ほとんどのケーキが300円代なのはシャッター商店街でなんとか生き抜くためでしょうか。
切なさがこみ上げます。
ちなみにインスタ映え間違いなし!な龍馬ラテアートなんかもあったりします。
誰も頼まなかったけど。
下関にいらっしゃることがあればぜひ駅前のスタバではなく唐戸商店街まで足を伸ばすことをお勧めします。がんばれ三好屋!
腹熟しにお参り in 亀山八幡宮
その歴史はなんと平安時代・貞観元年(859年)!
由緒正しき亀山八幡宮にお参りしにきました。
フェイクと思いきや、甲羅干しをしている亀さん。
亀山八幡宮の由来は当時まだ島だった(!)と言われるこの場所の島の形が亀に似ていたとも言われています。(諸説あり。)
また、野球の神様としても崇められるようになったのは昭和中期以降。
なんと、1958年から野球のボールが鳥居に彫られた”山”の中にそれは見事にはまっているんです。
由緒正しくない?言われにもご利益を感じてしまう程のオーラがあります。
源平合戦で御馴染みの関門海峡(壇ノ浦)の絶景も望めます。
右手に見えるのは “カモンワーフ” 。
ちなみにワーフとは波止場の意味。
「カモンワーフに行けば観光客向けの下関の名物食べられるよ!」
とお友達に伺ってリサーチしていたお店がなんと定休日!でしたがちゃーんとお目当てのものはいただきました。
晩ご飯はもちろん、ふく!
プランAはふくと瓦そば(ゆであがった茶そばを焼き付けてレモンと牛こま肉の甘辛煮でいただく)セットだったのですが目当てのレストランが休みならしょうがない!ということで違うお店のふくづくし(下関ではふぐをふくと呼びます。)を注文。
2人それぞれ違うセットを頼みシェアすることにしました。
アイルランドは愚か、ヨーロッパでは食べられないふぐを思い切り堪能しました。
今回の旅は私にしては弾丸で下関と小倉、門司、ご先祖様のお墓のある長崎を3泊4日で巡りました。
下関でごはんを食べるのは1泊目のみということで瓦そばに後ろ髪を引かれていたのですがなんと
帰京してからの瓦そば
旅の前にたまたま切ってもらった美容師さんが山口県の出身で、年始に帰った時に食べた瓦そばがおいしかったという話を聞いていたので食べられなかったことを実は悔やんでいたところ、思いが通じた(?)のか下関を一緒にぶらぶらした母のお友達が獺祭と一緒に送ってくれました!
嫁ぎ先のアイルランドのスーパーでそばは手に入りますが茶そばはないですし、アイリッシュビーフは中国人が輸入するくらいおいしいとはいえ細切れ肉はわざわざ注文しないと手に入りません。
今度はいつ食べられるかしら?
身近なルーツ巡り 無名だけどすごい人?な高祖父を訊ねて in 長崎
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