アルバニアはサランダの穴場!古代都市Finiqに行って来た!

アルバニアの首都、ティラナから南に6時間程バスを走らせるとたどり着けるのがビーチリゾート地サランダ。

ギリシャやイタリア、ドイツなどからビーチでリラックスすることを求めてリゾート客が押し寄せるのですが私の目的はスタンプ。

一人旅で泳げもしない海なんか行くわけないのですが、廃墟好きの私がものすご〜〜〜くそそられる丘があったので行って来ました!

古を感じる丘フィニークを訪れて

 

そもそもなんでそそられたの?

 

アルバニア、特にサランダの古代都市と言えばユネスコ世界遺産に登録されたブトリントなのですが、やはり人が多い。

そしてアルバニアについて調べていた時にとてつもなく興味深い近代遺産があることが判明。それが

 

Bunker!

 

(ロシア語だとトーチカ。)

日本語の辞書を引くと ”特火点” とありましたが、ピンときません。

要は銃や火炎放射器などで攻撃をしつつ、防空壕的役割をも果たすコンクリート製の施設です。

大小様々、また地下道で繋がっており、安全に会議が出来るよう設計されているものもあります。

地中で行き来が出来るようになっています。

 

巨大なものは首都のTiranaにあり、今はリノベートしてギャラリーや映画館として使われているものもあるそうなのですがそれはまたの機会に。

気になるブンカーの数は正確な数字を知っている人はいないそうで70万ほどというのがよく聞く情報とのこと。ちなみに兵士は現在8000人程。

アルバニアの人口は約300万人。

国土はハワイ州とほぼ同じ。

日本の地理で例えると中国地方より少し小さいかな?といった面積。

…異常さが伝わりましたでしょうか?
ちなみに日本にあるコンビニエンスストアの数は約6万店舗弱です。

民家の敷地にもBunker。

 

ブンカーってなんのためにあるの?

とあるアルバニア人に質問したところ

「あぁ…バカみたいな話なんだけどね、20世紀の中頃にエンヴェル・ホッジャっていう独裁者がなぜだかソビエトを 仮想の敵国に見立てた んだよね。で、戦いに備えていっぱい作っちゃったの。でもね、結局戦争にならなかったっていう。だからあんなに立派でも一度も使ったことがないのであーる!」

とのこと。

1968年から1992年まで鎖国状態にあったアルバニア。
隣国でありながら上記の期間はイタリアのピザがなかったそうです。コカコーラもなし。こんなへんてこな近代史だったとは!

またブンカーは1976年から1980年前半まで作られたのこと。
また、鉄を売るために壊されたものも数多くあるそうです。

政府が作ったものなのであまりよく思われていない部分はあるけれど

「勝手に作ったのは誰だ!壊せるもんなら壊してみろ!金かかるよ!」

なスタンスの人もいるのだとか。

元Bunker な地下レストラン。一人旅だと人目を気にしながらごはんを食べることになるのですがここはホテル直結ということもあり気にせずおいしいアルバニアンメニューをいただきました。

 

ちなみにメニューはこちらでご紹介しています。

 

アホ歴史の象徴ブンカー、見た過ぎる!

負の歴史というには誰も亡くなってないのでアホ歴史と綴りましたが、ブンカー分布図なんてものはなくてリサーチに苦労しました。

見応えがあるものはおおよそ首都ティラナにあるのですがサランダからは6時間バスに揺られなければならず、治安良好とは言えイスラム教徒の多い国でアジア人小型女性一人旅はやめた方がいいよね。ってことで諦めたところ、いい感じのブンカーがセンターから8km程度離れたFiniqという昔々は人が暮らしていた丘にあるようなので行って来ました!

センターからタクシーで8km程。タイヤがやられそうな箇所もちらほらありました。

 

 

必死に交通手段を調べたところ(英語情報がとっても少ない。)、タクシーで行くことが出来ないことがわかったので35ユーロを25ユーロに値切り(見てる時間、待っていてもらう料金と結局閉まってたけどもう一カ所の名所を辿る込み。)全体的に運転の荒いドライバーさんの多いサランダを駆け巡りました。

余談ですが正面衝突の事故現場を見たのでいくら交通の便が悪いとは言え個人的にはレンタカーはおすすめしません。保険も高いでしょうし大人しくタクシーがおすすめ。

Bunkerの攻撃用窓から絶景が広がる古代の村、Finiqへ!

ちなみに英語のスペルの種類がいくつかありPhoenice や Phoenike と表記されることもあります。ホテルの人には ”フィニーク” というとやっと伝わりました。のでこのブログではFiniqを推します。リサーチの際は是非上記のスペルでもお試しください。

Bunker内部からの景色。ここから攻撃することはありませんでした。

 

 

Bunker目当で行ったものの、長〜い歴史を持つ場所だった!

日本語情報がほぼないことから英語を介して知ったものなので間違いがあったら申し訳ないのですが歴史を遡ること2300年以上!紀元前4世紀頃から主にギリシャ人が暮らしてきた場所。
ヘレニズム時代(紀元前334年〜30年)には政治的拠点とされた地域でもあります。

 

言われなければタダの壁ですが2200年前には砦として機能していたとのこと。

 

ギリシャの歴史に詳しい方にご説明すると、ローマ時代(紀元前27年〜西暦345年)におけるEpiros(イピロス)地区の街の一部だったとのこと。

今の国境は1913年に定められたものなのでアルバニア国内のイピロス地域は北イピロスと呼ばれることも多いのだとか。

 

約紀元前2世紀頃に水を溜めていた場所。

 

18.5m × 15.2mものスペースに最大3.4mまでの水を溜められたそう。
ちなみに日本の学校のプールは幅12m×長25m×深1.2m。

この施設が現役で使われていた頃、日本は弥生時代でした。

そんな歴史的な価値ありまくりな場所にもBunker!!

外国人目線ではおもしろいなぁと思いますが、アルバニア国民だったら景観が台無しじゃないかとブチ切れてたと思います。

 

ヘレニズム時代の神殿跡

情報がないとわかりませんね。

Finiqはヘレニズム時代に大きく発展を遂げ、ここは政治拠点ともなったそうです。
景色が良くてきもちがいい中で会議が進められたのでしょうか?

建築様式はドーリア式だったとか。世界史の授業でイオニア式、コリント式と同時に習いました、よね?

この神殿が壊されたのは1926年と結構最近です。(時間感覚が狂ってきます。)

ちなみに神殿は英語でTemple。テストには多分でません。

 

 

そんな場所から望める景色にも、Bunker。

 

フィニーク 一番の見所 !!  テアトロ跡地

Google image で一番ヒットするのがこの劇場跡。

ヘレニズム時代及びローマ時代に使われていたそうで芸術関係だけでなく政治の場としても重要な決定がなされていたかもしれないとのこと。

なんたって、紀元前の出来事ですから。

ほんとは近くまで行きたかったのですがタクシー待たせ過ぎてるし階段は急ですしと言うことでFiniq 訪問はここまで。

Sarandaと言えば重要な遺跡はButrint。
もちろん訪れましたが人は多いし広くて迷ってしまう…ということで、個人的にはこちらの方が満足度高め!

 

入場料は200円。お土産物屋さんなどは全くありませんが古の景色とアルバニアのアホ遺産Bunkerのコントラストは圧巻です!

 

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守谷 天由子

ギリシャとアイルランドの両親を持つ明治の文豪、小泉八雲 (Lafcadio Hearn) の孫の孫の守谷天由子(もりやあゆこ)です。 文系か理系かと言われるとアート系のジュエリーデザイナー。 八雲と同じく異文化に触れる旅やウィスキーが大好き! 2017年に5カ国に渡る足跡ツアーを4ヶ月かけて自力で回りました。 道中出会ったアイリッシュ夫と海辺の町で暮らしています。