初日は高祖父である小泉八雲(Lafcadio Hearn)の生誕祭ということもあって着物でしたが翌日はさすがに体力が持たない!
ということでテラッテラのワンピースを着てひいひいおじいちゃんの生まれ故郷レフカダ歩きをはじめます。
1850年のLefkadaってどんな感じだったの?
レフカダは当時イギリスの保護国
ギリシャ王国に返還されたのは1864年のこと。
小泉八雲ことラフカディオ ハーンが生まれた1850年はイオニア諸島合衆国の領土でした。
レフカダに英国軍医補として派遣された小泉八雲の父、チャールズ ブッシュ ハーン(Charles Bush Hearn )は地元の女性、わたしのひいひいひいおばあさまにあたるローザ アントニア カシマチ(Rosa Antonia Cassimati )と出会い1949年に結婚。
きっと珍しかったでしょうね。
実は小泉八雲にはジョージ ロバート ハーン(George Robert Hearn)という1歳上のお兄さんがいましたが残念ながら八雲の生まれた1か月半後に亡くなります。
1850年6月27日に高祖父の八雲は Patric Lafcadio Hearn として生を受けます。
ちなみに出産のタイミングにチャールズは仕事のためアイルランド内陸部のリムリックにいたとのこと。はじめて息子にあったのはもう3歳のころだったとか。(Young Hearn by O.W. Frostより。)
飛行機のない時代の国際結婚のタフさは現在の比ではないことが伺えます。
イオニア諸島合衆国は1815年から1864年まで存在していました。
占領というよりは保護国であったためでしょうか、イギリスの文化は特に感じません。
古いものは探すまでもない。
そうなんです。
100年前なんてそんなに昔ではない空気がレフカダにはあります。
日差しが強い!暑い!
街には人がいません。
なぜなら暑いから。というのとレフカダにくる人の目的はほぼ
ビーチ
とは言えわたしの目的は泳ぐことにあらずなので街散策を続け
る前にエネルギー補給!
レフカダの図書館には日本語の本も!
先ほど申し上げた通り日中は街に人があまりないレフカダの図書館はやはり、誰もいませんでした。
そして開館時間をチェックしそびれていたわたしは閉館15分前(14:45)に着いてしまいます。
当然いい顔はされないのですが3%ギリシャ人とは言え平らな顔が功を奏したのか気にかけていただきました。
「実はわたしはLafcadioのGreat-great grand daughterなのですが何か彼に関しての資料があれば少しでもいいので見せていただけないでしょうか?」
「ほんとに〜!!すっごいすっごい!!(はげしく握手)ちょっとまってて!もってくるから!15時より長くいても大丈夫だから!」
司書さん(アロハシャツのおじちゃん)の親切さと冷房にあたれることに幸せを感じます。
ちなみに祖母は京都生まれだから京子、LafcadioHearnも生まれた場所であるここLefkadaにちなんで名付けられました。
わたしは東京都江戸川区新小岩の生まれで天由子という名前は両親の知人の占い師の新作の名前だっだそうです。
そして、長くいてもいいから!の長い、は20分ほどでした。
まだ午後の3時。暑さと疲労に負けずに街歩きを続けます。
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>>レフカダ2日目は1人で街歩き②とりあえず無料で涼みたくて向かった先は
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