2019年5月下旬にアイルランド滞在のビザが切れてしまう。
日本の梅雨、死ぬ程嫌い。(実際、子どもの頃は毎年入院していた。)
ローザ カシマチ(小泉八雲の母)が見た景色、私も見たい!息吸いたい!
ということで訪れたのが彼女の終焉の地であるイオニア諸島でも一番栄えたコルフ島。
そして彼女が2人の息子を産み次男ラフカディオの名前の由来となったレフカダ島。
最後に訪れたのがローザ 自身の生誕の地であり2番目の夫やその子どもたち4人と過ごしたキシラ島ということで満を持して訪れたのです。
2019年ギリシャ旅のスケジュール
5月20日
約1年間を過ごしたアイルランド南東部トラモアよりダブリン、ロンドンを経由してコルフ島へ。
5月21日
コルフ島到着。なんと、イオニア諸島がイギリスからギリシャに返還された記念日。
5月22日
大きな荷物を友人宅に置かせてもらい、ビザ切り替えのために非EU圏であるアルバニアのサランダへ30分(時差1時間)の旅。
意外とテンションの上がるものに出会えたこともあり、孤独ながらもそれなりに楽しく過ごす。
5月24日
無事、ローザ おばあさまの亡くなったコルフ島で暮らすレフカダ出身の美女宅へ帰還。
ローカルな彼女を巡るリサーチはもちろん観光地もそれなりに巡り、16日間を有意義に過ごす。
美女に我流そぼろを伝授する。
6月9日
2度目のレフカダ島(小泉八雲生誕の地)にコルフ島でお世話になった友人と到着。手厚い歓迎を受け、小泉八雲縁の地だけではなくリゾート地のヴァシリキなどを案内していただく。
「6月下旬は波乱が巻き起こるであろう。」
という友人占い師の言う通りアメリカ、ギリシャ、日本人に八雲情報を阻まれるなどプチ波乱がいくつか巻き起こりつつもレフカダ人の愛情に救われまくった23日間を毎日3度は爆笑しながら過ごす。
7月2日
レフカダ島からキシラ島への交通手段が少ないので何とドイツのシュトゥットガルトへ飛び11年来の友人であるジュエリーデザイナー宅に世話になる。
なんと1歳の息子がいるシングルマザー(聞いてないよ!)。
シッターさんがインフルエンザになったので平らな顔を晒しながら4日間そこそこ働く。
報酬は寝床とごはんと酒!酒!酒!ということで、非常に儲かる。
7月6日
ミュンヘンの空港からクレタ島へ飛び、翌日に控えた週に1本のみのキッサモス発のフェリーに向けて、そわそわしながら1泊。
飛行機が遅れたため目的地キッサモスへの終バスの出発3分前に到着。
平安時代の平均寿命を越えたいい年こいて泣きそうになる。
7月7日
11時のフェリーにも拘らずチキンハートが疼いて7時に起きる。
無事、私のルーツである念願のキシラ島へ到着。
初日にも関わらずローザの生家を夜にお訪ねした。
「今、リノベーション中だからベランダだけでごめんね!今度来たときはお家も案内するからね!」
と、初日にしてまた訪れる理由が出来る。
2週間もの間ほぼ毎日のように海に浸かって人生最高にダークな小麦肌をGet!! (あまりうれしくない。)
小泉八雲の父チャールズと母ローザ が出会ったホラ城などでデッサンをしたりリサーチセンターを訊ねるなどして過ごす。
7月21日
キシラ島からアテネのピレウスポートへ7時間かけて到着。
滞在先からキシラの港までのタクシー代(30分くらい)の方がフェリー代より高かった。
タクシー出発の2時間前に近所の教会の神父さんの奥様とお友達になり、
「うちの亭主、一昨年までアメリカで働くエンジニアだったのよ。」
というキシラ島ラストサプライズが待ち受けていた。
7月22日
念願のアクロポリス!
は暑すぎるのであきらめてピレウス港周辺を1人で2万歩程お散歩。
7月23日
バスでアテネ空港へ向かいトルコ航空がプロモーションも兼ねて行っているフリークルーズツアーに参加。
イスタンブールの空気を吸いつつトルコの概要についてお勉強。
絶対また来るぞと心に誓う。
7月24日
成田空港到着。
「お家に帰るまでが遠足ですよ!」
との文句は20年以上前に既に耳タコだったものの、とあるアクシデントをきっかけに成田空港でお友達が出来る。
旅の最終日、日本に到着したにも拘らず話題に事欠かない旅でした。
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