小泉八雲 (ラフカディオ ハーン)の旧居を巡る ダブリン編①
の続きです。
ダブリンでは4つの家に住んだと言われる私の高祖父小泉八雲(Lafcadio Hearn)ですが3つの家については上記の記事をご覧いただくとして、今からご紹介するのは私が最後に訪れたPrince Ahcer Therasse にあるお家。
なんと、中に入れてもらえちゃいました。
全てのお家には小泉八雲が住んでいたことを示すレリーフがあるのですが例によって撮影していた所
ドア イズ オープン!
人の良さそうな50歳前後の女性が現れました。
92%ジャパニーズな私は全力で謝る準備をしますが、同行していたLafcadioの大ファンなJohnは元新聞記者とあって超冷静。
プチパニックに陥った私を他所に「かくかくしかじかでLafcadioの子孫であるこのジャパニーズレイディははるばるジャパンからやってきてましてですね。」とおひげをもしゃもしゃさせて説明したところ
「すごーい!Lovely♥ 片付いてないけど中見てく?」
余談ですがアイルランド人は ”いいね” 的ノリで Lovely をよく使います。
マーク ザッカーバーグがどっぷりアイリッシュだったら Facebook の親指を立てたマークの名前は ”Lovely” であっただろうと思わせる程にしょっちゅう聞きます。
余談ですが Mark Zuckerberg のファミリーネームはドイツ系。
直訳ですと ”お砂糖の山” という意味です。
焦らした所で…
Lafcadio少年が見た景色をご覧ください
アメリカでは赤貧の生活を何度も強いられ、日本でも亡くなった時点での遺産はほとんどなかった小泉八雲。
ですが資産家である大叔母サラ ブレナンによってお金に苦労することなく育ちました。http://ayuko8.cloud/2019/03/09/haisupekkunamusukowomotta/
ちなみにお母さんのローザさんはギリシャ、お父さんのチャールズは仕事のためにインドへ行ったっきりです。
掘り下げて話すとかな〜り脱線する&どんよりした気持ちになっちゃうのでよろしければこちらをお読みください。
ハイスペックな息子を持ったチャールズ おじいさまの私生活を160年越しにご紹介
ダブリン及びイングランド、フランスではリッチに過ごしていたLafcadio少年ですが頼りのサラおばさんはなんと高校在学中に破産します。
少年Lafcadioは退学を余儀なくされ、最後のプレゼントとしてもらったアメリカ行きの片道チケットを手にして海を渡ったのでした。
厳しく躾けられた紳士的な振る舞いなどで得をすることもあったのかもしれませんが、どうやら諸々のしがらみが亡くなった関係で好奇心を爆裂させ波瀾万丈の人生がはじまるのでした。
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