問 : どんな人にでも16人いるものってな〜んだ?
答 : 高祖父母(ひいひいおじいちゃんおばあちゃん)
その私の高祖父母うち2名(小泉八雲とセツ)が大変光栄なことにWikipediaに項目があるのですがもちろん他のご先祖様のことも知りたい!ということで
はるばるやってきた長崎!
母の曾祖母筋は長崎のそこそこの名家出身だったそうで、その父親(私から見ると小泉八雲夫婦と同じく高祖父)までのお墓が長崎にあり、跡取りもいないということで数年前に孫である私の祖父が永代供養をしてきたとのこと。
アイルランドへ嫁ぐ直前にご挨拶するべく最後に訪れたのは40年程前!な母と2人で行って来ました。
ちなみにこのときの旅程は3泊4日で母の故郷の下関と長崎を巡るラウンドトリップでした。
母は小泉八雲と血縁はありませんが彼の代表作である耳なし芳一の舞台となった赤間神宮のそばで生まれ育ち、チェルノブイリが爆発する直前に小泉八雲の曾孫である父と結婚しました。
高祖父を訊ねて in 長崎 大音寺
母さえも出会ったことのない高祖父藤井氏は代々長崎で商業を営んでおり、そのお墓は江戸時代に建立(と表現してもいいくらい立派。)されたそう。
前回は40年近く前、学生時代にお友達と旅行していたら急にそわそわしたので別行動を取り、引き寄せられるようにお墓にたどり着いたそうですが今回なんとみつかるまで、お寺に入ってから
3時間
かかりました
ちなみにこの日の歩数計は18409歩。
階層に換算するとなんと、68階分上ったことになっていました。
これは池袋のサンシャイン60の展望台まで自力で行ったと言っても過言ではないのでしょうか。
とにかく広い。そして斜面が急。
しかも途中で母とはぐれます。
ウェディングケーキみたいなおっきいお墓の前にいるよ
電話して合流しようと見たこともない目印になりそうなお墓で待つも
「どこそれ、わかんない。」
と。
それだけ周りのお墓も立派なものが多いです。
実は宗教問わず私は墓地が大好きなんですが大音寺は今まで訪れた墓地の中でも最大レベルにそそられました。
有名どころであればデザイン豊富なパリのモンマルトル墓地もいつまでもお散歩していられる私ですがそれをも凌駕するレベルに多様さを感じることが出来る墓地です。
それは恐らく商人が多い地域でなおかつ見栄を張り合う文化があったこと。
出島に代表されるように海外との玄関口であったためお墓の意匠は出身地に寄せる人もいたことが起因しているように感じました。
ちなみに大音寺は15世紀初頭に長崎奉行がキリシタンを恐れてキリシタン寺跡に移した寺だそうで、ちょっと悲しい歴史がきっかけでもあったりします。
標識には日英韓中での説明が。
中には16〜17世紀に(今で言う)ベトナムからお嫁に来た人のお墓!なんてものもあったり。
そのベトナム人を娶った荒木宗太郎さんはWikipediaにも項目がある程に功績をなした方だそうでそんな方と同じ墓地にいるご先祖様はどんな人だったのかしら?と夢が広がります。
私は迷っている間もお散歩気分で非常に豊かな時間だったのですが帰りの飛行機の時間もあるのでお寺の方のお力を借りることにしました。
地図までそそる
何度も何度も丸めては広げてを繰り返したと思われる地図。
ITの力を使ってどうにかして欲しくもなりますが、このナチュラルなクリンクル加工、愛おしいです。
これを元にたどり着いた先のお墓が
藤井家の墓
母 「こんなんじゃない!もっと立派だし側に木があったし第一江戸時代に建てられてるんだもん。世話する人もいないしもっと苔むしてるの!」
この金箔の使い方、充分立派なんですが…。
振り出しとまでは行かなくとも、ちょっとがっかり。
「迷ったら電話くださいね」と言われていた番号へ掛けて事情を説明すると過去帳を参照してくださいました。
「仰ってる藤井さんはね、明治の頃に朝鮮へ行ったっきりって言う方じゃないかしら?」
きっとそれです!
ようやく出会えました!
母の言う通り、苔むしたご先祖様のお墓の敷地にはおおきな木がありました
しかもなんと、ザボン(別名晩白柚。長崎の名産品のひとつ。)の木。
明治時代からずっと毎年実を付けてはおそらく鳥さんたちの胃袋を満たしてきたのではないでしょうか?
シックなデザインの家紋。
風雨にさらされると金箔もこんな色になるのだなぁと感慨深い気分になります。
そう言えばお墓もザボンも原子爆弾の投下も乗り越えていることになるのか。
爆心地からはそう遠くもないのですが山沿いで影になっていたのかもしれませんね。
左側がザボンの木。
お墓の前ではピクニック気分でおまんじゅうをいただきました。
それにしても墓の敷地にこんなにも立派なザボンを植えるとは、いったいどんなご先祖様だったのでしょうか?
長崎は出島に代表されるように外国の文化がいち早く入ってきた土地で商人の街。
お墓にも個性をぶつけたがるその根性、ただ者ではなさそうです。
江戸時代から激動の時代や戦火に見舞われたこの長崎の街をみつめていたのかもしれません。
落ちているザボンを片付けていたらなんだか食べたくなっちゃったので素人目に食べられそうなものを一つ、持って帰ることにしました。
だれかが育てている訳じゃないし栄養状態もきっと良くないんだから味は悪いかもと思っていましたが、ちゃんとおいしかったです。
ご先祖様たちに感謝。
ちなみに母の弟にあたるおじさん曰く
「夏は蚊に食われて地獄。」
らしいのでまた、ザボンが食べごろの冬の終わりに訪れたいなと思っているところです。
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