耳なし芳一や雪女をはじめとする怪談の作者、小泉八雲 (Lafcadio Hearn)の孫の孫であるわたしですが
全くと言っていい程
霊感がありません!
性格も至ってロジカルで理屈っぽいですし、子どもの頃からファンタジーよりミステリーや推理小説が好き。
ホラーに関してはCMさえも見たくないタイプで、偉大なご先祖様の作品怪談に関しても子どもの頃は気持ち悪くてもうだめ!って思っておりました。
申し訳ないことに。
そんな、上手いこと血を引き継げていない玄孫が遭遇した幽霊のおはなしのはじまりはじまり。
約8000kmに及ぶ幽霊の大移動
バルト三国再北であるエストニアの首都、タリンをはじめて訪れたのは2013年の夏のことでした。
学生時代に東京のわたしの母校で短期留学していた友人を頼って1週間程の滞在。
タリンは歩いてまわれる程小さい都市で大体の場所は行ききってしまったのでどこかおすすめがないか聴いてみました。
「アユコは歴史が感じられる場所が好きなんだよね!だったらソビエトの頃にプリズンだったミュージアム行ってみたら?」
Prison Museum!!
ソビエト時代の刑務所のミュージアムだなんて名前だけでそそられるでしょ。
と、特に詳細を聞くこともなく足を運びます。
そして勝手に元刑務所で今は美術館博物館の類いで営業してると思い込んでたのですが、ただの刑務所跡。入場料は€2でした。ただ
めっちゃよい!(だが汚い)
正式名称は ”Patarei prison”
19世紀、ロシア占領下時代に城塞として建てられたもの。1918年にエストニアは独立したため刑務所として機能しますが対戦中にドイツにも占領されます。ドイツが負けたためまたロシア領となり1991年のソビエト連邦崩壊を機にエストニアは復活します。
Patareiの歴史についてはいくつかの記事を読んだのですがどれも年代が違っていたり記述もあやふやなのでこの辺にしときます。
1991年のソ連崩壊時に解散、と思っていましたが2002年まで使われていたの情報もあり。いずれにせよ非常に荒れてるのでよくわかりません!とにかくみて!
(とは言え一応お伝えします。閲覧注意。)
そそられまくり
廃墟が大好きなわたしは、過去最大級に興奮します。
元城塞ということで頑丈な建物。
散らかりまくりの部屋。
ダークな歴史を肌で感じます。
帰国後、興奮冷めやらぬ中…
エストニアからウィーンを経て日本に帰国しました。
仲のいい友人とSkypeチャットしていたときのこと、旅先でどこが印象的だったかと訊かれてPatarei Prisonについて語りはじめますがなかなか口では伝えきれないので写真を見せることにしました。
すると…
「え?これちょっとよく見えないんだけど誰が座ってるの?」
へ?何の話?
「その、椅子に座ってるのって、誰?」
誰も座ってない。
「誰も座ってないよ〜!怖いこと言わないでよ〜!」
といった瞬間
パソコンの電源がシュ〜ンと落ちました。
怖すぎる。時刻は丑三つ時。お母さんもう寝てるし。
泣きそうになりながらエマージェンシーな方法でPCを再起動し、すぐに友達に繋ぎます。
「ここって刑務所だったんでしょ?きっといやな思い出しかないまま亡くなった人が自由なあゆこがうらやましくて日本までついてきちゃったんだよ。写真も消しときな。」
すぐに消しました。
が!
iPhotoで生き残ってました!!!!
みますか?
みませんか?
どうしますか?
自己責任ですよ?
どうぞ
…あなたには誰が見えますか?
エピローグ
電源ダウン事件の数日後にたまたまワタリウム美術館に行く用事がありました。
地図を確認すると、エストニア大使館のすぐ近く。
神社の厄払いより効くかなって思って大使館の前まで行って念じてからは特に何も起こっていません。
ちょうど安保法案が通っちゃった頃で、この国もソビエトみたいになっちゃうかもよ〜?どうする〜?自由、なくなるよ〜? とお伝えしたのが効いたかもしれませんね。なんちゃって。
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