ウィーン旅

音楽の都、ウィーンに関しての引き寄せ案件① 隣国スロベニアを隔てて

ウィーンと言えば音楽の都、オーストリアの首都として知られています。

私にとっては小泉八雲おじいさまとは関係なく特別な街。
というのも日本をはじめて飛び出してたどり着いた場所なのです。

それは2004年。17歳になりたての頃でした。

 

当時所属していたオーケストラ部の顧問の先生が意欲的で大してうまくもないのに千葉県と折り合いを付けて、毎年ウィーンフィルハーモニーのニューイヤーコンサートが行われるかの有名な楽友教会 ( Musikverein )でのコンサートを企画。
演奏旅行と言う形で6泊8日の今思えばかなりの強行日程です。

絵本の中に迷い込んだような街並に感動しつつも駆け足でシェーンブルグ宮殿(裏側見れず)や音楽家のお墓、美術史博物館を回り、自由時間には仲のいい友達5人でベートーベンの家の近くをお散歩。そしてジェスチャーの限りを尽くしてケーキを食べたり。
それに加えてリハーサルと本番をこなしただなんて今ではちょっと信じられません。

ゆっくり出来たのは飛行機の中だけ。みたいな滞在だったので

 

「いつかまた来てじっくり見てやるんだから!」

 

と思いながら空港を後にしたのを覚えています。

念願の裏側のお庭が見られたのは8年後でした。

 

その ”いつか” は8年後

高校卒業後にはジュエリーの専門学校に進学したのですが、なんと短期留学で一緒に勉強していた同級生ジョアンナがウィーン人でした。

とは言えウィーンはコンサバティブだからと嫌いらしく留学していたバルセロナの美大からやってきたとのこと。

クラスに英語の出来る人はおらず、たまたま隣の席だった私は電子辞書を机の上に置いてコミュニケーションをとっていました。

ジョアンナにウィーンに行ったことがある旨は伝えられましたがどこに行ったか、何をしたのかという説明までは当時の語学力では伝えられないので訪れた当時(この時から見ると3〜4年前)の写真をみせると、

 

「あ〜、ここおじさんが支配人してる〜。」

 

楽友教会でした。

 

ぶっっっっったまげました。

 

 

絶対にまた来るんだもんね。

と誓ったさらに4年後、デパートでの仕事をやめてドイツのワーキングホリデー生活をはじめる前に彼女を頼って訪れたのが私の2回目のウィーンです。

彼女のおじさんはもう退官なさってましたが

「友達働いてるからMusikvereinのチケット用意してくれるか連絡してみる〜。」

と掛け合ってくれて奇跡的にウィーンフィルのチケットを2席タダで確保。プログラムはシューマンのシンフォニーの一番でした。

指揮者は有名なムーティ!
ジョアンナのパンプスがかわいい。

 

 

後ろの方の席でしたがほぼ真ん中で音響も最高。
その後ろには立ち見の日本人がたくさんいて

「アユコ!お前は日本人じゃない、ウィーン人だから座って聴いちゃうんだよ〜ん!ねっ!」

とジョアンナ上機嫌。
私は日本人らしく恐れ多い思いでおりました。ただ彼女はウィーン出身とは言えクラシック音楽があまり得意でないようで途中で寝ていました。

前に席もなかったのでかなりリラックスして音楽に浸ることが出来ました。

ウィーンはドイツから近いしまた来よう!と思いつつもなかなか時間もお金も余裕もない日々を過ごしていました。

でも日本に帰国する前にどうにか寄りたい!
あとエストニアとラトビアとチェコとポーランドも行きたい!
よし、ジョアンナのおうちにおっきい荷物だけ置かせてもらってウィーンからエストニアに飛んで、南下しながら旅行してウィーンから成田へ帰ることにしよう!

と綿密な計画を立てた上で飛行機を予約します。

 

 

ジョアンナ、マルタに引っ越しの巻

チケットを予約する前に確認しない私がいけないのですが

「ウィーンはコンサバで好きになれんわ〜。」

としょっちゅうぼやいていたジョアンナはなんとラテンなマルタ島へ引っ越していました。

 

それを知ったのはスロベニア旅行中。2週間ほど友人サラの暮らすシェアハウスに滞在していた時のこと。

「どうしよう〜やらかしちゃったー!ジュエリーギャラリーに行くついでにウィーンの友達の家に荷物置かせてもらってからエストニアとか旅しながらウィーン戻って日本帰ろうとしてたのに頼りにしてた友達引っ越してたの〜!ウィーンの空港のコインロッカーに2週間預けるとか出来るかなぁ〜。まじあほ〜。」

とサラの前で愚痴をこぼしてしまいました。

 

翌日、サラ大活躍

「ねぇアユコ、ウィーン行くのっていつなの?」

「決まってないけど、ウィーンからエストニアへのフライトが9月4日でそっから2週間旅しながら陸路でウィーンに戻って18日に日本帰るプランだけど…。」

 

「マティッツの元カノが部屋使っていいってよ!」

 

さすがは人口200万人のスロベニアコミュニティ。

「サラ、わざわざ訊いてくれたの?」

「うん、マティッツの元カノはオーストリア人でこっちでドイツ語の先生してたんだけど確か日本好きだったなーって思って。多分いい友達になれるんじゃない?」

 

うわぁ

スロベニアに生まれたかったよぉぉぉ!

すっごいスピード感だよ!

 

ちなみにマティッツはスロベニア語に限らず英語、ドイツ語、日本語と私が操る言語を全部使える友人。

すぐさま元カノのタマラとのFacebook Messengerのグループを作ってくれて独英混じりでやりとりを行い、超スムーズに滞在のお約束をしました。

 

後日改めてマティッツと会う機会があったのでお礼を言いました。

 

「いやぁ、一時はどうなるかとは思ったけどほんっとにDanke! ウィーンは(かくかくしかじかで)わたしにとって特別な街だからタマラと友達になれるのもほんとにうれしい♥」

「そうだったんだね!ぼくはただ取り次いだだけだから。アユコがウィーンを引き寄せたんだよ!」

タマラには1人ではハードルが高すぎるホイリゲ(オーストリア風居酒屋)にも連れて行ってもらいました。

 

うれしいこと言ってくれるじゃないの。

 

また、ウィーンでの滞在もそれはそれは有意義なものになりタマラとも意気投合。
このときの滞在は合計5泊でしたが翌年にまたお世話になりました。

今は新しい彼と結婚し、ベビー関連が落ち着いたら彼らの結婚指輪をつくるお約束をしています。

日本贔屓のタマラの愛猫の名前は、Neko。

 

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ABOUT ME
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守谷 天由子
ギリシャとアイルランドの両親を持つ明治の文豪、小泉八雲 (Lafcadio Hearn) の孫の孫の守谷天由子(もりやあゆこ)です。 文系か理系かと言われるとアート系のジュエリーデザイナー。 八雲と同じく異文化に触れる旅やウィスキーが大好き! 2017年に5カ国に渡る足跡ツアーを4ヶ月かけて自力で回りました。 道中出会ったアイリッシュ夫と海辺の町で暮らしています。